オランダで起業ページ

ポートフォリオ・ニュースではオランダで起業したかたがたを定期的にインタビューしてご紹介しています。自薦他薦を問わずご興味のあるかたは、info@portfolio.nlまでご連絡ください。

2018-10-28

オランダで醤油づくり

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ロッテルダムで醤油づくりをしている会社があると聞き、製造所を訪ねてみました。よくある工場地帯の片隅にある倉庫のような建物にこの醤油工場はありました。創始者でオーナーであるトーマス・ウレーさんに、作業場を回りながら醤油づくりについて4時間にもわたり説明を聞きました。トマス(Tomasu)はトーマス(Thomas Uljee)さんの会社名。パートナーである農夫、パン職人、広報担当者と共同で経営しています。写真右側がトーマスさん、左は共同経営者のひとりであるピートさん)

はじまり

なぜオランダで醤油づくりなのか?なぜパンやチーズでなくて醤油なのか?醤油文化がないオランダでいったい何が引き金となって醤油づくりを始めたのか? トーマスは巷によくいる日本語を上手にあやつったり日本文化に詳しい日本通でもなく、見かけも態度も精悍なオランダ人。どう見ても醤油醸造職人には見えない。

きっかけは5年前に見たテレビ番組だという。アメリカのケンタッキー州で醤油醸造を始めたマット・ジェイミー氏を取材した番組を見て稲妻に打たれたような衝撃を受ける。そして放映から2日後、トーマスはマット・ジェイミーの工場の前に立っていた。なんという行動力! そこで醤油づくりの基本を習いオランダに舞い戻り、即行動開始する。トーマスは7世代にわたるパン屋の家に生まれた。パンを作りながら、スーパーマーケットで売られる安いだけの質の悪いパンの氾濫に嫌気がさしていた。人はきちんとした食品を家族で楽しんで食べなくては幸せにならないという哲学のもと、昔ながらの材料を使いおいしいパンの製造に努めてきた。そして同時に単なるクラフトマンシップとは違う日本の「匠」という言葉を知り、自分も匠になりたいと常に考えていた。そのときに現れたのが醤油だったのである。
そうしてトマスの長い旅が始まる。

まずは大豆づくりから

正しい醤油は正しい材料づくりから始めねばならないという信念のもと、トーマスは大豆を育てることから始める。まずは農業技術や農科学では世界でも有数のワーヘニンゲン大学の研究室に出向き、5100種の大豆(こんなにあるとは!)からオランダでの生産に適した34種を探し出す。そして最終的にロッテルダムの南にあるフークセワールトの農地に適した種をひとつ見つけ出し栽培を開始する。自然農法をめざし、できるだけ農薬は使わず余計な手入れをせずに育てたのがトーマスの醤油づくりのための大豆だ。

醸造開始

収穫した大豆はまず干す。それから1日塩水に浸してふやかし、次の日にこれを煮る。そうしてやわらかくなった大豆を麹室に入れ、オーブンで焼き砕いた麦を混ぜ乗せ寝かしておく。こうしてできた麹(こうじ)を樽に移す。

スコッチの樽

もうひとつのトマスの醤油づくりの特徴は樽である。日本の大手醤油醸造所では巨大なステンレスの桶を使っているが、トマスではスコットランドで醸造したウィスキーの空樽を利用している。50年ものの樽のサイズは高さ90cmぐらい。空の樽からはスコッチの匂いがしてくる。水を入れて4−5日待つと樽は麹を入れるのにちょうどよい具合になる。水はアルコール度20度とスコッチの水割り状態になっている。樽の中はスコッチ醸造の際に香り付けとフィルター効果を目的に燃やしているので真っ黒である。この樽の中の炭も醤油づくりの大事な要素になっているという。さらに水と塩そして麹を加えてモロミにし、あとはじっくりと熟成するのを待つのみ。

長い長い熟成

トマスの醤油は温度調整をしないので熟成に時間がかかる。なんと2年から3年もの間エイジングルームという熟成室に置かれる。その間に、攪拌というかき混ぜる作業を定期的に行い、乳酸菌や酵母菌といった微生物の働きやすい環境を整える。ここでじっくり待ったモロミは最高の醤油となる。モロミを圧搾して出てくる絞り汁が醤油である。

これから

大豆づくりから始まったトマスの醤油は4年の歳月をかけ商品となった。4年の間1ユーロの収入もない。ここまで長い長い話を聞いて、いったい醤油つくりは趣味なのかビジネスなのかわからなくなってきた。パン屋を続けるのか、それとも醤油づくりをビジネスにするのかと聞くと、トーマスは少し考えてから夢を語り始めた。僕たちの夢は、ボルドーワインのシャトーのような醤油シャトーになること。ビッグでなくてもグレートでありたい。常に醤油づくりから学び、さらに質を向上させたい。そうして人々に新しい食の冒険をしてもらいたい。言葉には出さなかったが、高級手作り醤油で市場を広げたいというビジネスを考えているようだ。ちなみに気になる値段だが、100mlで12.5ユーロ、200mlで20ユーロというプレミアム価格である。すでにアムステルダムのTaikoやRIJKSそしてロッテルダムのYamaという高級レストランでここの醤油が使われている。

世界中をくまなく旅行したというトマスは日本にはまだ行ったことがない。なぜかと聞くと、いつの日か醤油の真髄を知り、醤油について語れる日が来たら日本に行きたいという。それまでは理想の国のままで置いておきたい。

2018-09-22

オランダでデザイナーとして活躍するヒロイクミさん

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グラフィックデザイナーそしてアート・ディレクターとして活躍するヒロイ・クミさん。彼女のアトリエを訪ねてアムステルダムの西はずれに足を運びました。アトリエは過去に学校だったという建物の中にあり、彼女は2人の写真家と天井の高い広いスペースをシェアしています。知的で清楚なヒロイさんは、言葉を選びながら丁寧に質問に答えてくれました。P:ポートフォリオ、S:ヒロイさん

P: グラフィックデザイナーというと本やポスターのデザイン、あるいはウェブデザインを考えるのですが、ヒロイさんのなさっているお仕事はそういうものですか?もう少し詳しくお話していただけますか?

H: 基本的にはそうですね。グラフィックデザインとアートの中間に位置するようなプロジェクトもやっています。コンセプトを自分で決め、コンテンツを作り、そのコンテンツをかたちにおとしていきます。デザイナーがなぜアートなのかと思われるかもしれませんが、私が勉強したオランダの美術大学(リートフェルト・アカデミー)ではアートとグラフィックの境界線が希薄な課題も多くあり、そこで学んだことを生かしている感じでしょうか。
そして、通常の(?)グラフィック・デザインの仕事があります。こちらは基本的にはコンテンツをいただいて、本の装丁、ウェブサイト、展覧会のデザインなどのかたちに落としこむ仕事です。最近は、デザインの前から、というか、私にとってはデザインの一部なのですが、コンテンツを作り上げる作業にも関われることが多くなってきたのは嬉しいです。
ある程度の見栄えのいいウェブサイトなら誰でも作れる時代ですから(笑)、グラフィック・デザイナーは、俯瞰的にクライアントのコミュニケーションに関わる問題点をさぐり、その解決策を提示していくコンサルタントのような知識・経験や、コンテンツを作り上げる編集者的な発想を求められるのかなと思います。

P: なるほど、グラフィック・デザインの世界にも変革が訪れているんですね。ところでヒロイさんはリートフェルトを卒業してすぐに起業なされたのですか?

H: 卒業したのは10年前、2008年です。私は卒業後デザイン事務所に就職しました。同級生たちはほぼ全員が卒業後すぐに独立したので、私は例外ですね。オランダはフリーランスで仕事をする環境が整っていること、また政府からアーティスト・デザイナーへの助成金制度が充実しているからかもしれません。私は2社で働いた後に独立しました。
 

P: 日本でもデザインのお仕事をなさっていたんですか?

H:  いいえ。私は日本の大学では経済学を専攻しました。しかし、ずっと美術には興味がありました。その夢をかなえるために、まずイギリスのデザインスクールに留学し、2005年にリートフェルトに転入しました。当時、リートフェルトのコンセプト主導の授業が自分にあっていると感じたことが一番の理由です。

P: 今やっているアートプロジェクトというのは?

S:  オランダのクリエーティブ業界振興基金(Stimuleringsfonds)と文学基金(Het Letterfonds)の助成で、3つの視点が交差する物語を、写真家と作家と一緒に作っています。まず私と写真家が3枚の写真を作ります。この写真から想像力を得て、作家が3つの文章を書きます。そして次はこの文章から私たちが物語をつなげて写真を作る。この作業を繰り返し、3つの話が出来上がるのですが、3つの視点は、交差したりもしています。2019年1月の発表に向けて作っている最中です。

P: おもしろそうですね。その他のデザインのプロジェクトは?

H:  普段は、オランダの省庁や大学との仕事が多いんですけれど、日本関連のものもあります。今年は、日本人アーティストの本のデザインや、長崎で養殖している真珠を使って、ヨーロッパや日本のデザイナーがジュエリーをデザインするプロジェクトのアートディレクション・グラフィックデザインの仕事などです。オランダにいる日本人デザイナーだからできる仕事っていうのもあると思うので、とても楽しくやらせてもらっています。特に日本語と英語のフォントの組み合わせや、オランダ人写真家と写真を作り上げる作業はやりがいがあります。

P: オランダの政府機関や基金と仕事をするときに外国人であることでなにか障害がありましたか?

H:外国人というところでは障害は特にないです。しかしオランダ語は日々勉強だと思います。オランダの政府機関や基金とはすべてオランダ語でのミーティングです。私は、難しいプレゼンは英語でしますが、オランダ語での他者のプレゼンや質問についていかなければなりません。特にオランダ国土交通省(Rijkswaterstraat)の仕事のときは、オランダ語でインフラ関係の単語が多く出るので、ミーティング・ワークショップの前日には単語帳を作ったりしました。私も分野によって単語力に差があるのオランダ語をちゃんと勉強しようと思います。
 

P: 起業して一番たいへんだったこと。よかったことは?

H:時間の使い方がとても自由になることはとても良かったと思います。自分の働きたい時間や、休暇の時期や期間も自分で決めることができることは嬉しいです。その反面、そこに伴う責任も負うことになります。「仕事を断ると次はないかも〜」と緊張感をいつも持てることも良いですね。
他に良いことといえば、グラフィックのお仕事は、コンテンツにあったコミュニケーションのかたちを提供することなので、そのコンテンツについて詳しくなれることも気に入っています。アーティストやデザイナーさんとお仕事をするときには、彼らの独自な考え方や手法を、それが本やウェブサイトやどんなかたちになるにしても、彼ららしいものになることを常に考えます。企業や行政とお仕事をするときも基本的には同じで、独自の技術や背景にある物語などの情報を咀嚼してかたちに落とし込むので、その情報について詳しくなれます。そんなところが気に入っています。
 

P: これからデザイナーとして起業する人へのアドバイスがあれば

うーん。。やはり成功ばかりしようとせずに、失敗してたほうが実は学びはあると思うので、いっぱい失敗することがよいと思います。私も失敗もちょくちょくですが、失敗は挑戦をしなければできないものですし。なんて偉そうですが。。。私も初心を忘れずにやっていきたいです。

2018-09-06

出産ドゥーラという天職をオランダで得た朝倉麻耶さん

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朝倉麻耶さんは、ちょっと耳新しい職業である「出産ドゥーラ」というお仕事をやっています。出産ドゥーラとはいったいなんなのか、そしてどのようにしてこの仕事を始めるようになったのか、などをお聞きしました。 P:ポートフォリオ、A:朝倉さん

P: まずこの出産ドゥーラについて教えてください。

A: 出産ドゥーラというのは、女性の妊娠中から出産・産後までの期間、母親に寄り添い、日常生活をサポートする産前産後ケアの専門家です。オランダでは助産婦や産科医そして産後ケアのクラームゾルフ*など出産の前後のケアは完備していますが、それとはまた別に、妊婦そして母親に寄り添い精神的、肉体的なサポートをするというものです。

P:もうちょっと具体的に説明していただけますか?

A: はい、わかりにくいですよね。例えば妊娠20週目ぐらいから妊婦さんといっしょに出産プランというのをたてます。もちろん助産婦さんや医師と相談してもいいのですが、それとは別にどんな出産を希望しているのかを聞いて妊婦さんの側にたったプランをたてまるのです。例えば出産時の痛みに耐えられないときには無痛分娩を希望するのかどうかなどをいっしょに考え、これを医師などに伝えます。妊婦さんの検診にも何度か付き添い、担当医や助産婦と面談しておきます。ドゥーラはいつも助産婦、産科医、そして妊婦さんのパートナーと連携をとっていますので、独り歩きすることはありません。分娩中には、アロマオイル、フットマッサージや指圧などをして痛みを和らげたりするのもドゥーラの役目です。産後はクラームゾルフ*さんの期間後に必要に応じてサポートを行います。ハーブバスに浸かるなど一人の時間をつくってあげたり、体型を戻す為に骨盤絞めをするなどです。とくに、出産に関しては助産婦さんや産科医に押し切られることが多々あるのですが、妊婦さんといっしょによく考えてから、それを伝えるということもやっています。ドゥーラは妊婦さんが希望するお産が出来るように全面的に支えます。

####P: なるほど。妊婦さん、とくに海外で出産する人にとっては不安を和らげる上、助産婦や医師とのコミュニケーションもスムーズにしてくれる存在なのですね。朝倉さんは、どんなきっかけでドゥーラになろうと思ったのですか?

A:ドゥーラの存在を知ったのは2年前です。オランダに2003年に留学目的で来て、ハーグの大学院で女性の権利について勉強しました。卒業後パートナーに出会い子供を2人授かったのですが、今後自分はいったい何がしたいのか、何をすべきなのかで悩んでいました。それが、2年前に偶然にテレビでドゥーラに関する番組を見て、「自分が妊娠するの好き、妊婦の大きなお腹見る(触る)のが好き、新生児大好き。妊婦さんが幸せな妊娠生活送れたらいいな。そんな手伝いが出来るなんて、素敵。ああ、これが私が長い間求めていたものなのだ。」と啓示めいたものを得たのです。それからすぐにドゥーラ養成コースを見つけ勉強を始めました。ドゥーラの勉強は学校だけでなく実地経験も必要です。本格的に開業するまでは、ボランティアで難民のためにドゥーラとして働いたりしていました。今でもドゥーラはこれから一生やっていける天職だと思っています。以前、ドゥーラとして妊婦さんのお世話をしながら出産に立ち会わせていただいたときに『是非へその緒を切ってください』とおっしゃっていただき、大変光栄な経験もあり、ずっと続けたいと思いました。

####P:いいですね。とてもやりがいのあるお仕事だと思いますが、大変なことってありますか?

A:とても楽しい仕事なので苦に思ったことはありません。ただ、出産前は出産予定日前後数週間は24時間体制で対応するので、それが少し大変かもしれません。いつ呼び出しがあっても駆けつけられるようにドゥーラバッグはいつも準備万端です。

####P:そのほか、ドゥーラとしてなさっていることってありますか?


ドゥーラはレボゾと呼ばれる南米の大きなストールをいつも用意しています。このレボゾというのはとても便利で腰周りをぐっとしめて痛み緩和や陣痛促進など、いろいろ使えるのです。このほかカッピング療法やお灸やフットマッサージもやりますよ。このほか、長いダンス経験を活かし、妊産婦さんむけに90分のダンスレッスンもやっています。ダンスをしながら骨盤を大きく開く方法など、これもレボゾを使用して習えます。ダンスはラテン、アフリカン、ベリーダンスなどのスタイルから妊婦さんに適した動きを取り入れています。

*クラームゾルフ(Kraamzorg)とはオランダの産褥ヘルパー制度で、毎日一定時間家庭訪問をして、産後の健康な母子のケアを行います。そのほかに時間があれば、掃除・洗濯・買い物などの家事も行います。オランダでは出産後入院しない代わりに、この制度があります。


2018-08-14

「ラーメンに恩返し」ラーメン店の夢をオランダでかなえた齋藤さん

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2年ほど前からロッテルダムの隣町スキーダムで横浜家系ラーメン店を開いている齋藤俊海さんにお話を伺いました。インタビュー前に豚骨ラーメンをいただいたのですが、モチモチでありながらしっかりした麺と深みのあるスープに感動を覚えました。お店は世界で最も高い風車やユネスコの無形文化遺産に指定された風車が並ぶ運河沿いにあり、ちょっとした観光気分を味わえます。P:ポートフォリオ、S:齋藤さん

P: いつからオランダですか?オランダに来た経緯を教えてください。

S: 2016年の10月にベルギーに入国しました。それからロッテルダムやアムステルダムなどを見て回り、結局11月にこのスキーダムに落ち着きました。なぜスキーダムかとはよく聞かれるのですが、ロッテルダムの近くで肉や野菜が手に入りやすいところを探したところ、この近くのスパーンセポルダーに大きな卸市場があるのを発見、そこで店はスキーダムと決めたのです。僕は横浜育ちなので将来は、ハンブルグやジェノバ、そしてロッテルダムといった港町のそばに店を構えたいというぼんやりとした夢がありました。なのでオランダに移住するならロッテルダムだと決めていたのです。オランダを移住先に決めたのは、日蘭通商条約による日本人が就業ビザ不要で働けるという記事を読んだのがきっかけです。2016年にはオランダ移住はちょっとしたブームになっていて、「ライフ・ハッカー」や「クーリエ・ジャポン」などでずいぶんと取り上げられていましたよね。それなら、移住は今だと思って実行に移したんです。

P:日本でもラーメン屋さんをやってらしたんですか?

S:いえいえ、普通のサラリーマンでした。でもラーメンは大好きで大学のころからうどん屋、ラーメン屋、焼きそばの屋台(てきや)と麺類店でのアルバイトをこなしていましたので、その道に入る土壌はできていたと思います。てきやは違法だったため続かなかったんですけど(笑)。 元から麺好きの家に育ったというのもこの道を歩む背景にあったのかと思います。家での食事も麺類が多く、両親の初デートは六本木のラーメン屋だって聞いてます。

P: 海外でラーメン屋を出すと決めたのは?

S: もともと海外で働きたかったのだと思います。大学を卒業してから建材を扱う商社で働いていたのですが、退職して1999年から2001年まで1年半ほどカナダでワーキングホリデーを体験しました。農場で働いたり飲食店に勤めたりといろいろやりました。でも結局ビザが下りなかったのでそのままカナダには残ることができず、欧州に渡りました。フランクフルトに着いてすぐに安い車を買って欧州をめぐりました。ゆくゆくはヨーロッパでなにかを始めたいという思いがあったので、下見という意味もありました。そのときもパリやデュッセルドルフでラーメンを食べ、旅路でラーメンにありつけたという救われた気持ちがあると同時に、将来は自分もという夢が生まれたのかもしれません。
その後日本に戻り、老舗の製麺所に入社しました。製麺所を選んだのは、ラーメンの本質を知りたい、そしてそのためには業界を俯瞰しなければという思いがあったからです。それから製麺所をやめ1年半ほどラーメン専門店2店舗で修行させてもらいました。こうして海外でのラーメン屋開業の夢を温めてきました。

P: それから2016年にその夢を実行に移したのですね。スキーダムの中心地はそれこそ17世紀に戻った気分にさせる運河や橋や歴史的建造物が並ぶ美しい街並みですが、齋藤さんが選ばれたのはその外側の移民が多く住む地域ですよね。イスラム教徒が多い場所で豚骨ラーメンを始めるというのもかなりの決断だったのでは?

S: それはあまり気にしませんでした。というより逆にご近所の人たちには本当に親切にしてもらっています。店を手に入れてひとりで改造を始めたときも、向かいでピザ屋を営むシリア系オランダ人のハリルさんに救われたといっても過言ではありません。厨房の改造でガスの口が合わずガスが使えないという死活問題のトラブルが発生したとき、ハリルさんが救いの手を差し伸べてくれたのです。「近所だから」という理由だけで朝方まで内装を手伝ってくれ、改造は一気に進みました。うちの店はハリルが作ったと公言していて、いまでも彼のことを「先生」と呼んでいます。
たしかにここは60%が移民という地域で、イスラム教徒は豚肉はご法度ですが、ハラル(イスラム教徒用に屠殺した肉)の鶏肉を使ったラーメンも出してます。1年と少し店をやっていて、一度も嫌な目にあったことはありません。逆にご近所さんがとてもよくしてくれるのには本当に感謝しています。ポーランドやトルコ系の店が多いご近所の商店のひとたちも「和食系の店ができると町がヘルシーになる」と、非常に好意的なのも助かっています。いずれは町の広告塔になりたいと思っています。

P:行列ができる斎藤さんのラーメンの秘密は? 

S:  今はおかげさまでたくさんのかたにいらっしゃっていただいていますが、最初は1日4人などと閑古鳥が鳴く日が続きました。ところがある日近所の常連の人が店紹介の動画を作ってくれてアップしたところ、これがまたたく間に拡散し、おかげさまで今のように毎日賑わっております。これも、先のハリルさんと同じく、ある意味奇跡の出会いといってもいいかもしれません。ラーメンの秘訣ですか? やはり麺とスープだと思っています。麺はロッテルダム産の粉と店の隣の風車で挽いた粉そしてオーガニックの全粒粉をブレンドした粉で作っています。これにかん水と塩を加えただけでその他全く添加物がないのが自慢です。ブレンドは本当に毎日試行錯誤の連続でした。これとスープが最も相性のいい着地点を探求し、そしてできあがったのが僕の横浜ラーメンなんです。あ、ちょっと付け加えてもいいですか?僕が粉を調達している風車は去年11月にユネスコの世界無形文化遺産に指定されているのです。ナポリのピザと同様、昔ながらの製粉方法を今に伝える事からユネスコ世界無形文化遺産になりました。これも少しだけ自慢です。(笑)

P: 今いちばんやりたいことと今後の目標は?

S:睡眠のほかにですか?(笑) やっぱり家族がほしいですね。仕事では定期的に麺のワークショップを開催しているのですが、そこにいろいろな国からの参加者がいます。彼らが国に帰ってから、自分のラーメンショップを開いてくれればいいなあと。そう、おらが町のラーメンというのでしょうか、ノルウェーのラーメンやらスコットランドのラーメンといった彼らなりのラーメン屋を開く一助になれればうれしいです。僕はここまでラーメンに育てられたと自認しているのですが、こうやって人を育てるのもラーメンへの恩返しだと思っています。

2018-07-16

「発酵食品と麹」の研究とワークショップを開催する茉莉花Groenさん

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茉莉花Groenさんはアムステルダムでオランダ人や日本人も含む外国人向けに、英語で発酵食品や麹のワークショップを開催しています。かなり専門的なものから素人でも楽しめるものまであり、発酵食品ファンにとっては珠玉の講座です。P:ポートフォリオ、M:茉莉花Groenさん

P:今どのような研究とワークショップをおこなっているのでしょうか?

M:ワークショップとしては、今の私が知り得る範囲での暮らしの発酵術、また日本の醸造産業の実態をお伝えさせて頂いています。具体的には味噌、醤油、酒、味醂、酢、塩蔵、乾物などの伝統食、その要である麴の作り方、旬のものを生かした保存食や常備食、そしてそれらに囲まれた生活術という名の手抜き法などです。
日本の伝統発酵食をメインにしていますが、合間にコンブチャやケフィア、また欧州に来てから作るようになった杏干しやどぶろく、テンペなども希望があり次第講座を開いています。日本の漬物の知恵を取り入れつつ、オランダで入手できる食材で作る発酵食品は新しい文化の創造ともいえ、生活の中の小さな冒険のようでワクワクしますね。
常に自由研究みたいな感じなんですが、日本やアジア諸国で培われてきた食文化と欧州でのそれとの交雑で何が生まれるか、みたいなことに興味があって日々思いついた(というかその辺にある)食材を乾燥、塩蔵、麴化したりしていると思います。あとは画一的に製法が伝承されてきた食品も、実は他国でもっとシンプルな方法で作られていたのではないか、などの疑問からリサーチ、実践、経過観察などを行っています。楽しいです。

P:発酵食品に取り憑かれたのはいつから? 何がきっかけですか?

M:取り憑かれてるというか…暮らしの一部としてもう切り離すことはできないと思います。
もともとオランダに来た時、味噌はずっと長崎の麦味噌を日本から持ってきて大切に使っていたんですが、ある時からこちらで手に入る食材で造ろうと思いたち味噌作りから始まりました。ほぼ同時期に柿酢を教えてくれたシェフがいて、農家でなくシェフから教わったというのが笑えるんですが、果実酢は基本的な天然発酵の初めからほぼ終わりまでを観察できる、素晴らしい体験学習でした。それからは、もう坂道を転げ落ちるように手作りの道を歩いてきています。

P: そういえば、今年も2ヶ月半日本で発酵の旅をしていらしたそうですが、そのお話をきかせてください。

M:毎回帰国の度に何となく自然に決まるテーマがあるのですが、今年はそれが「醤油」でした。醤油って、他の醸造物もそうですけど、とてもシンプルな原材料でできているんです。まず大豆。そして小麦、塩。ものによっては大豆だけとか小麦だけというものもあります。
私は今オランダで醤油を仕込んでいるわけですが、ここで「作っている」と言わず「仕込んでいる」と言うのは、実は仕込むまでというのは誰でもできるんですね。というと語弊があるかもしれませんが、家庭用となると量も限られていますし麴さえ作ることが(あるいは入手)できれば、仕込みまではさほど困難ではない。問題はここからで、もろみの状態をどのように観察し、どのような状態を目指すのか。醤油用の麴はどのように持っていくのか。細かいことを話し出すとキリがありませんが、今自分が仕込んでいる醤油がこのままでいいのか、ということが知りたかったですね。そこで本当に美味しいお醤油を作っている蔵元の仕事を実際に見学させて頂き、直接お話を伺いました。醤油用の製麹については深く学びたかったので、養父市の大徳醤油さんにお願いして一泊二日の強化合宿を企画し初めから終わりまでを体験学習させて頂きました。
その他も、奈良の片上醤油さんや小豆島の蔵元など、とても貴重なお話を聞かせていただきました。

個人的なテーマは醤油でしたが、奈良で尊敬する仲間と発酵合宿をしたり、好きな種もやし屋さんで勉強会兼同窓会をしたり、発酵仲間、蔵人さん、窯元さんに会いに行ったりと、移動が許す限り会いたい人に会いに行っていました。

P: 日本での発酵の旅、すごいですね。熱意がひしひしと感じられます。ところでオランダに来る前は何をしてらしたのですか?

M: オランダに来たのは2008年、ちょうど10年前ですが、渡蘭直前はあんまり面白いことはしてなかったです。遡ると、京都の芸大を卒業後すぐにニュージーランドで勉強したり働いたり旅したりぶらぶらしてたんですが、帰国後に日本でデザインと英語を両方生かせる会社にうまく出会えず、海外顧客を相手に英語関係の仕事三昧の日々でした。しかし初めての日本国での社会人経験、学ぶことも多かったです。

P:オランダに来たきっかけは? オランダの生活はいかがですか? 

M: ニュージーランドにいた際に今の夫と出会ったのですが、自然な成り行きでオランダで同居することになりました。国内でいいなと思うのは自由と創造が尊重されている点、合理的な働き方や自由な家族の形、家族で過ごせる時間がとても大切にされているところ。あと四季の移り変わりもだいたい日本と同じなので、和と欧の行事が両方楽しめるのもいいですね。

P: 今後の目標は?

O:数年前から日本にまとまった期間毎年帰っているのですが、その時々で自分のテーマに沿った蔵元、醸造元を訪ね歩いています。もともと自分の個人的興味や関心に基づく勉強のために情報を集めていましたが、素晴らしい方々に巡り会い続けアウトプットが追いつかないくらいの刺激を頂いています。
その方々との出会いで、自分自身の視野も拓けてきたような気がしています。今はとにかく恩返しがしたい。そして、そういう気持ちが常に図らずとも自然な形で拡散されまわっていってくれることを願っています。


オランダで醤油づくり


オランダでデザイナーとして活躍するヒロイクミさん


出産ドゥーラという天職をオランダで得た朝倉麻耶さん


「ラーメンに恩返し」ラーメン店開店の夢をオランダでかなえた斎藤俊海さん


発酵食品や麹の研究とワークショップを行う茉莉花Groenさん


テレビ局勤務を退職しオランダに移住した鈴木さん


フリーランスの美容師としてオランダで起業した小野寧子さん


子供のためのサイエンス教室を開催する福成海央(みお)さん


オランダの会社に勤務しながら子供のための科学教室サイネスを運営する福成洋さん


アレクサンダー・テクニーク教室を主催する椙本康世さん


MONO JAPANの中條永味子さん


リラックス・マッサージのモンタさん


映像作家の小倉裕基さん


理学療法士の桑原さん


日本人ドライバーサービスの村上さん