オランダで起業ページ

ポートフォリオ・ニュースではオランダで起業したかたがたを定期的にインタビューしてご紹介しています。自薦他薦を問わずご興味のあるかたは、info@portfolio.nlまでご連絡ください。

2018-09-22

オランダでデザイナーとして活躍するヒロイクミさん

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グラフィックデザイナーそしてアート・ディレクターとして活躍するヒロイ・クミさん。彼女のアトリエを訪ねてアムステルダムの西はずれに足を運びました。アトリエは過去に学校だったという建物の中にあり、彼女は2人の写真家と天井の高い広いスペースをシェアしています。知的で清楚なヒロイさんは、言葉を選びながら丁寧に質問に答えてくれました。P:ポートフォリオ、S:ヒロイさん

P: グラフィックデザイナーというと本やポスターのデザイン、あるいはウェブデザインを考えるのですが、ヒロイさんのなさっているお仕事はそういうものですか?もう少し詳しくお話していただけますか?

H: 基本的にはそうですね。グラフィックデザインとアートの中間に位置するようなプロジェクトもやっています。コンセプトを自分で決め、コンテンツを作り、そのコンテンツをかたちにおとしていきます。デザイナーがなぜアートなのかと思われるかもしれませんが、私が勉強したオランダの美術大学(リートフェルト・アカデミー)ではアートとグラフィックの境界線が希薄な課題も多くあり、そこで学んだことを生かしている感じでしょうか。
そして、通常の(?)グラフィック・デザインの仕事があります。こちらは基本的にはコンテンツをいただいて、本の装丁、ウェブサイト、展覧会のデザインなどのかたちに落としこむ仕事です。最近は、デザインの前から、というか、私にとってはデザインの一部なのですが、コンテンツを作り上げる作業にも関われることが多くなってきたのは嬉しいです。
ある程度の見栄えのいいウェブサイトなら誰でも作れる時代ですから(笑)、グラフィック・デザイナーは、俯瞰的にクライアントのコミュニケーションに関わる問題点をさぐり、その解決策を提示していくコンサルタントのような知識・経験や、コンテンツを作り上げる編集者的な発想を求められるのかなと思います。

P: なるほど、グラフィック・デザインの世界にも変革が訪れているんですね。ところでヒロイさんはリートフェルトを卒業してすぐに起業なされたのですか?

H: 卒業したのは10年前、2008年です。私は卒業後デザイン事務所に就職しました。同級生たちはほぼ全員が卒業後すぐに独立したので、私は例外ですね。オランダはフリーランスで仕事をする環境が整っていること、また政府からアーティスト・デザイナーへの助成金制度が充実しているからかもしれません。私は2社で働いた後に独立しました。
 

P: 日本でもデザインのお仕事をなさっていたんですか?

H:  いいえ。私は日本の大学では経済学を専攻しました。しかし、ずっと美術には興味がありました。その夢をかなえるために、まずイギリスのデザインスクールに留学し、2005年にリートフェルトに転入しました。当時、リートフェルトのコンセプト主導の授業が自分にあっていると感じたことが一番の理由です。

P: 今やっているアートプロジェクトというのは?

S:  オランダのクリエーティブ業界振興基金(Stimuleringsfonds)と文学基金(Het Letterfonds)の助成で、3つの視点が交差する物語を、写真家と作家と一緒に作っています。まず私と写真家が3枚の写真を作ります。この写真から想像力を得て、作家が3つの文章を書きます。そして次はこの文章から私たちが物語をつなげて写真を作る。この作業を繰り返し、3つの話が出来上がるのですが、3つの視点は、交差したりもしています。2019年1月の発表に向けて作っている最中です。

P: おもしろそうですね。その他のデザインのプロジェクトは?

H:  普段は、オランダの省庁や大学との仕事が多いんですけれど、日本関連のものもあります。今年は、日本人アーティストの本のデザインや、長崎で養殖している真珠を使って、ヨーロッパや日本のデザイナーがジュエリーをデザインするプロジェクトのアートディレクション・グラフィックデザインの仕事などです。オランダにいる日本人デザイナーだからできる仕事っていうのもあると思うので、とても楽しくやらせてもらっています。特に日本語と英語のフォントの組み合わせや、オランダ人写真家と写真を作り上げる作業はやりがいがあります。

P: オランダの政府機関や基金と仕事をするときに外国人であることでなにか障害がありましたか?

H:外国人というところでは障害は特にないです。しかしオランダ語は日々勉強だと思います。オランダの政府機関や基金とはすべてオランダ語でのミーティングです。私は、難しいプレゼンは英語でしますが、オランダ語での他者のプレゼンや質問についていかなければなりません。特にオランダ国土交通省(Rijkswaterstraat)の仕事のときは、オランダ語でインフラ関係の単語が多く出るので、ミーティング・ワークショップの前日には単語帳を作ったりしました。私も分野によって単語力に差があるのオランダ語をちゃんと勉強しようと思います。
 

P: 起業して一番たいへんだったこと。よかったことは?

H:時間の使い方がとても自由になることはとても良かったと思います。自分の働きたい時間や、休暇の時期や期間も自分で決めることができることは嬉しいです。その反面、そこに伴う責任も負うことになります。「仕事を断ると次はないかも〜」と緊張感をいつも持てることも良いですね。
他に良いことといえば、グラフィックのお仕事は、コンテンツにあったコミュニケーションのかたちを提供することなので、そのコンテンツについて詳しくなれることも気に入っています。アーティストやデザイナーさんとお仕事をするときには、彼らの独自な考え方や手法を、それが本やウェブサイトやどんなかたちになるにしても、彼ららしいものになることを常に考えます。企業や行政とお仕事をするときも基本的には同じで、独自の技術や背景にある物語などの情報を咀嚼してかたちに落とし込むので、その情報について詳しくなれます。そんなところが気に入っています。
 

P: これからデザイナーとして起業する人へのアドバイスがあれば

うーん。。やはり成功ばかりしようとせずに、失敗してたほうが実は学びはあると思うので、いっぱい失敗することがよいと思います。私も失敗もちょくちょくですが、失敗は挑戦をしなければできないものですし。なんて偉そうですが。。。私も初心を忘れずにやっていきたいです。

2018-09-06

出産ドゥーラという天職をオランダで得た朝倉麻耶さん

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朝倉麻耶さんは、ちょっと耳新しい職業である「出産ドゥーラ」というお仕事をやっています。出産ドゥーラとはいったいなんなのか、そしてどのようにしてこの仕事を始めるようになったのか、などをお聞きしました。 P:ポートフォリオ、A:朝倉さん

P: まずこの出産ドゥーラについて教えてください。

A: 出産ドゥーラというのは、女性の妊娠中から出産・産後までの期間、母親に寄り添い、日常生活をサポートする産前産後ケアの専門家です。オランダでは助産婦や産科医そして産後ケアのクラームゾルフ*など出産の前後のケアは完備していますが、それとはまた別に、妊婦そして母親に寄り添い精神的、肉体的なサポートをするというものです。

P:もうちょっと具体的に説明していただけますか?

A: はい、わかりにくいですよね。例えば妊娠20週目ぐらいから妊婦さんといっしょに出産プランというのをたてます。もちろん助産婦さんや医師と相談してもいいのですが、それとは別にどんな出産を希望しているのかを聞いて妊婦さんの側にたったプランをたてまるのです。例えば出産時の痛みに耐えられないときには無痛分娩を希望するのかどうかなどをいっしょに考え、これを医師などに伝えます。妊婦さんの検診にも何度か付き添い、担当医や助産婦と面談しておきます。ドゥーラはいつも助産婦、産科医、そして妊婦さんのパートナーと連携をとっていますので、独り歩きすることはありません。分娩中には、アロマオイル、フットマッサージや指圧などをして痛みを和らげたりするのもドゥーラの役目です。産後はクラームゾルフ*さんの期間後に必要に応じてサポートを行います。ハーブバスに浸かるなど一人の時間をつくってあげたり、体型を戻す為に骨盤絞めをするなどです。とくに、出産に関しては助産婦さんや産科医に押し切られることが多々あるのですが、妊婦さんといっしょによく考えてから、それを伝えるということもやっています。ドゥーラは妊婦さんが希望するお産が出来るように全面的に支えます。

####P: なるほど。妊婦さん、とくに海外で出産する人にとっては不安を和らげる上、助産婦や医師とのコミュニケーションもスムーズにしてくれる存在なのですね。朝倉さんは、どんなきっかけでドゥーラになろうと思ったのですか?

A:ドゥーラの存在を知ったのは2年前です。オランダに2003年に留学目的で来て、ハーグの大学院で女性の権利について勉強しました。卒業後パートナーに出会い子供を2人授かったのですが、今後自分はいったい何がしたいのか、何をすべきなのかで悩んでいました。それが、2年前に偶然にテレビでドゥーラに関する番組を見て、「自分が妊娠するの好き、妊婦の大きなお腹見る(触る)のが好き、新生児大好き。妊婦さんが幸せな妊娠生活送れたらいいな。そんな手伝いが出来るなんて、素敵。ああ、これが私が長い間求めていたものなのだ。」と啓示めいたものを得たのです。それからすぐにドゥーラ養成コースを見つけ勉強を始めました。ドゥーラの勉強は学校だけでなく実地経験も必要です。本格的に開業するまでは、ボランティアで難民のためにドゥーラとして働いたりしていました。今でもドゥーラはこれから一生やっていける天職だと思っています。以前、ドゥーラとして妊婦さんのお世話をしながら出産に立ち会わせていただいたときに『是非へその緒を切ってください』とおっしゃっていただき、大変光栄な経験もあり、ずっと続けたいと思いました。

####P:いいですね。とてもやりがいのあるお仕事だと思いますが、大変なことってありますか?

A:とても楽しい仕事なので苦に思ったことはありません。ただ、出産前は出産予定日前後数週間は24時間体制で対応するので、それが少し大変かもしれません。いつ呼び出しがあっても駆けつけられるようにドゥーラバッグはいつも準備万端です。

####P:そのほか、ドゥーラとしてなさっていることってありますか?


ドゥーラはレボゾと呼ばれる南米の大きなストールをいつも用意しています。このレボゾというのはとても便利で腰周りをぐっとしめて痛み緩和や陣痛促進など、いろいろ使えるのです。このほかカッピング療法やお灸やフットマッサージもやりますよ。このほか、長いダンス経験を活かし、妊産婦さんむけに90分のダンスレッスンもやっています。ダンスをしながら骨盤を大きく開く方法など、これもレボゾを使用して習えます。ダンスはラテン、アフリカン、ベリーダンスなどのスタイルから妊婦さんに適した動きを取り入れています。

*クラームゾルフ(Kraamzorg)とはオランダの産褥ヘルパー制度で、毎日一定時間家庭訪問をして、産後の健康な母子のケアを行います。そのほかに時間があれば、掃除・洗濯・買い物などの家事も行います。オランダでは出産後入院しない代わりに、この制度があります。


2018-08-14

「ラーメンに恩返し」ラーメン店の夢をオランダでかなえた齋藤さん

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2年ほど前からロッテルダムの隣町スキーダムで横浜家系ラーメン店を開いている齋藤俊海さんにお話を伺いました。インタビュー前に豚骨ラーメンをいただいたのですが、モチモチでありながらしっかりした麺と深みのあるスープに感動を覚えました。お店は世界で最も高い風車やユネスコの無形文化遺産に指定された風車が並ぶ運河沿いにあり、ちょっとした観光気分を味わえます。P:ポートフォリオ、S:齋藤さん

P: いつからオランダですか?オランダに来た経緯を教えてください。

S: 2016年の10月にベルギーに入国しました。それからロッテルダムやアムステルダムなどを見て回り、結局11月にこのスキーダムに落ち着きました。なぜスキーダムかとはよく聞かれるのですが、ロッテルダムの近くで肉や野菜が手に入りやすいところを探したところ、この近くのスパーンセポルダーに大きな卸市場があるのを発見、そこで店はスキーダムと決めたのです。僕は横浜育ちなので将来は、ハンブルグやジェノバ、そしてロッテルダムといった港町のそばに店を構えたいというぼんやりとした夢がありました。なのでオランダに移住するならロッテルダムだと決めていたのです。オランダを移住先に決めたのは、日蘭通商条約による日本人が就業ビザ不要で働けるという記事を読んだのがきっかけです。2016年にはオランダ移住はちょっとしたブームになっていて、「ライフ・ハッカー」や「クーリエ・ジャポン」などでずいぶんと取り上げられていましたよね。それなら、移住は今だと思って実行に移したんです。

P:日本でもラーメン屋さんをやってらしたんですか?

S:いえいえ、普通のサラリーマンでした。でもラーメンは大好きで大学のころからうどん屋、ラーメン屋、焼きそばの屋台(てきや)と麺類店でのアルバイトをこなしていましたので、その道に入る土壌はできていたと思います。てきやは違法だったため続かなかったんですけど(笑)。 元から麺好きの家に育ったというのもこの道を歩む背景にあったのかと思います。家での食事も麺類が多く、両親の初デートは六本木のラーメン屋だって聞いてます。

P: 海外でラーメン屋を出すと決めたのは?

S: もともと海外で働きたかったのだと思います。大学を卒業してから建材を扱う商社で働いていたのですが、退職して1999年から2001年まで1年半ほどカナダでワーキングホリデーを体験しました。農場で働いたり飲食店に勤めたりといろいろやりました。でも結局ビザが下りなかったのでそのままカナダには残ることができず、欧州に渡りました。フランクフルトに着いてすぐに安い車を買って欧州をめぐりました。ゆくゆくはヨーロッパでなにかを始めたいという思いがあったので、下見という意味もありました。そのときもパリやデュッセルドルフでラーメンを食べ、旅路でラーメンにありつけたという救われた気持ちがあると同時に、将来は自分もという夢が生まれたのかもしれません。
その後日本に戻り、老舗の製麺所に入社しました。製麺所を選んだのは、ラーメンの本質を知りたい、そしてそのためには業界を俯瞰しなければという思いがあったからです。それから製麺所をやめ1年半ほどラーメン専門店2店舗で修行させてもらいました。こうして海外でのラーメン屋開業の夢を温めてきました。

P: それから2016年にその夢を実行に移したのですね。スキーダムの中心地はそれこそ17世紀に戻った気分にさせる運河や橋や歴史的建造物が並ぶ美しい街並みですが、齋藤さんが選ばれたのはその外側の移民が多く住む地域ですよね。イスラム教徒が多い場所で豚骨ラーメンを始めるというのもかなりの決断だったのでは?

S: それはあまり気にしませんでした。というより逆にご近所の人たちには本当に親切にしてもらっています。店を手に入れてひとりで改造を始めたときも、向かいでピザ屋を営むシリア系オランダ人のハリルさんに救われたといっても過言ではありません。厨房の改造でガスの口が合わずガスが使えないという死活問題のトラブルが発生したとき、ハリルさんが救いの手を差し伸べてくれたのです。「近所だから」という理由だけで朝方まで内装を手伝ってくれ、改造は一気に進みました。うちの店はハリルが作ったと公言していて、いまでも彼のことを「先生」と呼んでいます。
たしかにここは60%が移民という地域で、イスラム教徒は豚肉はご法度ですが、ハラル(イスラム教徒用に屠殺した肉)の鶏肉を使ったラーメンも出してます。1年と少し店をやっていて、一度も嫌な目にあったことはありません。逆にご近所さんがとてもよくしてくれるのには本当に感謝しています。ポーランドやトルコ系の店が多いご近所の商店のひとたちも「和食系の店ができると町がヘルシーになる」と、非常に好意的なのも助かっています。いずれは町の広告塔になりたいと思っています。

P:行列ができる斎藤さんのラーメンの秘密は? 

S:  今はおかげさまでたくさんのかたにいらっしゃっていただいていますが、最初は1日4人などと閑古鳥が鳴く日が続きました。ところがある日近所の常連の人が店紹介の動画を作ってくれてアップしたところ、これがまたたく間に拡散し、おかげさまで今のように毎日賑わっております。これも、先のハリルさんと同じく、ある意味奇跡の出会いといってもいいかもしれません。ラーメンの秘訣ですか? やはり麺とスープだと思っています。麺はロッテルダム産の粉と店の隣の風車で挽いた粉そしてオーガニックの全粒粉をブレンドした粉で作っています。これにかん水と塩を加えただけでその他全く添加物がないのが自慢です。ブレンドは本当に毎日試行錯誤の連続でした。これとスープが最も相性のいい着地点を探求し、そしてできあがったのが僕の横浜ラーメンなんです。あ、ちょっと付け加えてもいいですか?僕が粉を調達している風車は去年11月にユネスコの世界無形文化遺産に指定されているのです。ナポリのピザと同様、昔ながらの製粉方法を今に伝える事からユネスコ世界無形文化遺産になりました。これも少しだけ自慢です。(笑)

P: 今いちばんやりたいことと今後の目標は?

S:睡眠のほかにですか?(笑) やっぱり家族がほしいですね。仕事では定期的に麺のワークショップを開催しているのですが、そこにいろいろな国からの参加者がいます。彼らが国に帰ってから、自分のラーメンショップを開いてくれればいいなあと。そう、おらが町のラーメンというのでしょうか、ノルウェーのラーメンやらスコットランドのラーメンといった彼らなりのラーメン屋を開く一助になれればうれしいです。僕はここまでラーメンに育てられたと自認しているのですが、こうやって人を育てるのもラーメンへの恩返しだと思っています。

2018-07-16

「発酵食品と麹」の研究とワークショップを開催する茉莉花Groenさん

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茉莉花Groenさんはアムステルダムでオランダ人や日本人も含む外国人向けに、英語で発酵食品や麹のワークショップを開催しています。かなり専門的なものから素人でも楽しめるものまであり、発酵食品ファンにとっては珠玉の講座です。P:ポートフォリオ、M:茉莉花Groenさん

P:今どのような研究とワークショップをおこなっているのでしょうか?

M:ワークショップとしては、今の私が知り得る範囲での暮らしの発酵術、また日本の醸造産業の実態をお伝えさせて頂いています。具体的には味噌、醤油、酒、味醂、酢、塩蔵、乾物などの伝統食、その要である麴の作り方、旬のものを生かした保存食や常備食、そしてそれらに囲まれた生活術という名の手抜き法などです。
日本の伝統発酵食をメインにしていますが、合間にコンブチャやケフィア、また欧州に来てから作るようになった杏干しやどぶろく、テンペなども希望があり次第講座を開いています。日本の漬物の知恵を取り入れつつ、オランダで入手できる食材で作る発酵食品は新しい文化の創造ともいえ、生活の中の小さな冒険のようでワクワクしますね。
常に自由研究みたいな感じなんですが、日本やアジア諸国で培われてきた食文化と欧州でのそれとの交雑で何が生まれるか、みたいなことに興味があって日々思いついた(というかその辺にある)食材を乾燥、塩蔵、麴化したりしていると思います。あとは画一的に製法が伝承されてきた食品も、実は他国でもっとシンプルな方法で作られていたのではないか、などの疑問からリサーチ、実践、経過観察などを行っています。楽しいです。

P:発酵食品に取り憑かれたのはいつから? 何がきっかけですか?

M:取り憑かれてるというか…暮らしの一部としてもう切り離すことはできないと思います。
もともとオランダに来た時、味噌はずっと長崎の麦味噌を日本から持ってきて大切に使っていたんですが、ある時からこちらで手に入る食材で造ろうと思いたち味噌作りから始まりました。ほぼ同時期に柿酢を教えてくれたシェフがいて、農家でなくシェフから教わったというのが笑えるんですが、果実酢は基本的な天然発酵の初めからほぼ終わりまでを観察できる、素晴らしい体験学習でした。それからは、もう坂道を転げ落ちるように手作りの道を歩いてきています。

P: そういえば、今年も2ヶ月半日本で発酵の旅をしていらしたそうですが、そのお話をきかせてください。

M:毎回帰国の度に何となく自然に決まるテーマがあるのですが、今年はそれが「醤油」でした。醤油って、他の醸造物もそうですけど、とてもシンプルな原材料でできているんです。まず大豆。そして小麦、塩。ものによっては大豆だけとか小麦だけというものもあります。
私は今オランダで醤油を仕込んでいるわけですが、ここで「作っている」と言わず「仕込んでいる」と言うのは、実は仕込むまでというのは誰でもできるんですね。というと語弊があるかもしれませんが、家庭用となると量も限られていますし麴さえ作ることが(あるいは入手)できれば、仕込みまではさほど困難ではない。問題はここからで、もろみの状態をどのように観察し、どのような状態を目指すのか。醤油用の麴はどのように持っていくのか。細かいことを話し出すとキリがありませんが、今自分が仕込んでいる醤油がこのままでいいのか、ということが知りたかったですね。そこで本当に美味しいお醤油を作っている蔵元の仕事を実際に見学させて頂き、直接お話を伺いました。醤油用の製麹については深く学びたかったので、養父市の大徳醤油さんにお願いして一泊二日の強化合宿を企画し初めから終わりまでを体験学習させて頂きました。
その他も、奈良の片上醤油さんや小豆島の蔵元など、とても貴重なお話を聞かせていただきました。

個人的なテーマは醤油でしたが、奈良で尊敬する仲間と発酵合宿をしたり、好きな種もやし屋さんで勉強会兼同窓会をしたり、発酵仲間、蔵人さん、窯元さんに会いに行ったりと、移動が許す限り会いたい人に会いに行っていました。

P: 日本での発酵の旅、すごいですね。熱意がひしひしと感じられます。ところでオランダに来る前は何をしてらしたのですか?

M: オランダに来たのは2008年、ちょうど10年前ですが、渡蘭直前はあんまり面白いことはしてなかったです。遡ると、京都の芸大を卒業後すぐにニュージーランドで勉強したり働いたり旅したりぶらぶらしてたんですが、帰国後に日本でデザインと英語を両方生かせる会社にうまく出会えず、海外顧客を相手に英語関係の仕事三昧の日々でした。しかし初めての日本国での社会人経験、学ぶことも多かったです。

P:オランダに来たきっかけは? オランダの生活はいかがですか? 

M: ニュージーランドにいた際に今の夫と出会ったのですが、自然な成り行きでオランダで同居することになりました。国内でいいなと思うのは自由と創造が尊重されている点、合理的な働き方や自由な家族の形、家族で過ごせる時間がとても大切にされているところ。あと四季の移り変わりもだいたい日本と同じなので、和と欧の行事が両方楽しめるのもいいですね。

P: 今後の目標は?

O:数年前から日本にまとまった期間毎年帰っているのですが、その時々で自分のテーマに沿った蔵元、醸造元を訪ね歩いています。もともと自分の個人的興味や関心に基づく勉強のために情報を集めていましたが、素晴らしい方々に巡り会い続けアウトプットが追いつかないくらいの刺激を頂いています。
その方々との出会いで、自分自身の視野も拓けてきたような気がしています。今はとにかく恩返しがしたい。そして、そういう気持ちが常に図らずとも自然な形で拡散されまわっていってくれることを願っています。


2018-07-06

テレビ局勤務を退職しオランダに移住した鈴木さん

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テレビ局の記者という仕事を辞め、2016年9月にオランダに移住してきた鈴木さんにお話を伺いました。鈴木さんは現在、日本茶の輸入卸やワークショップ、日本語教師、補習校教諭などをやっていらっしゃいます。P:ポートフォリオ、S:鈴木さん

P:オランダにいらしたきっかけを教えてください。

S:東日本大震災がひとつのきっかけでした。震災後、数年かけて日本社会の変化を意識して見ていたつもりですが、当時の自分の立場からまわりを見渡してみると、社会が分厚い利権や既得権益に覆われていることに暗い気持ちになりました。政治、産業ほか、世の中のあらゆる面で利権が猛威を振るっています。これは今でもそうですね、どんどん悪くなるように見えます。当時、私は構造的にそうした既得権益の中にいましたが、早くそこから抜け出したいと感じていました。仕事の面では、テレビのニュースで情報を伝えていましたが、構造的な問題をそのままにして記者を名乗ることに良心の呵責を覚えたり、テレビでなにかしらの問題を提起してみても、その当事者でなければ多くの人が無関心である社会への無力感があったりして閉塞感にさいなまれていました。一方で、ちょうど40歳を迎えて、何か新しいことに取り組んでみようという思いがありました。とはいっても、全く新しい仕事をしようと考えていたわけではなく、これまでの知識や経験を本当の意味で役に立てるにはどうしたらよいかと考えていました。あの震災を通じて一種の「めざめ」を経験した自分は、社会や組織に迎合して「脂をのせていく」のではなく、自分自身の信念や良心が十分に納得できる形で新しい挑戦をしようと思ったのです。そんなときに、ふとオランダが目の前に現れました。

P:なるほど。その新しいことというのは日本では実現しようとは思わなかったのですか?たとえば、フリーのジャーナリストという道もありますよね?

S: 日本でフリージャーナリストとして社会正義に燃える生き方もあったかもしれませんが、単純に自分自身の人生をもっと楽しもうという思いもあったので、海外ありきでした(笑)。実は、学生のころから海外に出たいとも思っていました。会社時代、営業部にいて比較的時間に余裕があったころには英会話を習っていました。そういう積年の思いが「いまだ!ここだ!」と噴き出したのかもしれませんね。


P:順調な記者生活を辞めて海外に移住するというのは大きな決断ですよね。海外に出てからの計画はあったのでしょうか?

S: これまで、それなりに堅実な人生を歩んできましたので、オランダに出る計画も自分なりには相当練り込んできたつもりですよ。たとえば、取材の仕事で食べていこうと考えると、企業の広告や広報の予算をあてにするようになりがちで、これでは本末転倒になります。だから、そもそも別の収入源を作ることを考えました。いま取り組んでいる静岡茶の輸入やワークショップは、静岡時代の知見や人脈、それに取材や番組制作のスキルを活かして展開しているビジネスです。お茶とテレビのスキルがどうつながるの?と思われるかもしれませんが、番組やニュースの制作は、どのように情報を集めてどのように構成して、どう見せるか、という作業です。これは、人に何かを伝えるときにとても重要な要素だと感じています。また、18年間の会社生活では、記者だけでなく営業など、さまざまな仕事をしてきたので、これらの引き出しをもっと生かすことも考えました。こういうと、スムーズにここまで来ているように思われるかもしれませんが、そんなことはありません。実際には自分の持っている人間力を総動員して毎日全力で取り組んで、どうにかこうにかやっとここに立っている、という感じです。同時に、人の縁やタイミングなど、いくつもの幸運が重なったという実感もあります。いずれにしても、いそがしかった記者時代と同じかそれ以上に、いそがしく充実した毎日です。

P:それでお茶を扱っているんですね、各地でお茶のワークショップも開催していらっしゃいますよね、他にもお仕事をなさっているようですが?

S: たとえば、フルート奏者の妻とともにFM静岡で「武良静枝のMooi!オランダ」というラジオ番組を作って毎週放送しています。まもなく90回目の放送です。妻がパーソナリティ、私はディレクターで話題の選定や台本のチェック、収録、編集を担当しています。テレビの取材の仕事は年に数回程度。このほか、アムステルダム補習校教員、ロッテルダムのVolksuniversiteitでの日本語教師、ライデン大学日本学科の非常勤講師、塾講師、着物のトレーナーなど仕事は多岐に渡っていますが、すべて「人に情報を伝える」仕事です。日本語教師は、これも不思議な縁ですが、実は大学で専攻していたのが日本語教育でした。これまでの自分の学びや経験が仕事に生きています。

P: オランダの生活はいかがですか?

S: とても気に入っています。去年の春に第一子の長男が生まれましたが、毎日子どもの成長を見ることができる自分の仕事環境にも満足しています。これは、日本のテレビ局で記者を続けていたらできない経験です。歩きはじめる、しゃべりはじめる、といった子どもの成長をつぶさに見ることができる、それだけでも私のオランダ生活には価値があると感じています。

P: 今後のビジョンはありますか?

S: まずはオランダ語を習得して、必ず永住権を獲得します。仕事は大きく成功させます。子どもにはオランダで成人してもらうつもりです。もう少し具体的に言えば、今後はオランダでの本格的な取材活動や、日本にある特定の社会構造に向けての問題提起にも取り組んでいこうと考えています。ここオランダは自分が人生をかけて選び、降り立った土地ですから、ともすれば日本以上に愛着があると言えるかもしれません。私は日本人ですが、それよりも人類のひとりであることを意識して生きていきます。いずれ状況が変われば、日本にも再び拠点を持つことがあるかもしれません。現状からすれば、そのような希望は持ちにくいですが、やはり日本はふるさとですから、心の片隅ではそうなればいいなと感じています。最後に、ひとつだけ宣伝してもいいですか?最近、フェイスブックに「Japanse Thee Suzuki」というビジネスページを作りました。お茶のイベントなど掲載していますので、よかったらのぞいてみてください。EU基準の静岡茶、ぜひ飲んでみて下さい。 ~~~


オランダでデザイナーとして活躍するヒロイクミさん


出産ドゥーラという天職をオランダで得た朝倉麻耶さん


「ラーメンに恩返し」ラーメン店開店の夢をオランダでかなえた斎藤俊海さん


発酵食品や麹の研究とワークショップを行う茉莉花Groenさん


テレビ局勤務を退職しオランダに移住した鈴木さん


フリーランスの美容師としてオランダで起業した小野寧子さん


子供のためのサイエンス教室を開催する福成海央(みお)さん


オランダの会社に勤務しながら子供のための科学教室サイネスを運営する福成洋さん


アレクサンダー・テクニーク教室を主催する椙本康世さん


MONO JAPANの中條永味子さん


リラックス・マッサージのモンタさん


映像作家の小倉裕基さん


理学療法士の桑原さん


日本人ドライバーサービスの村上さん