ニュース

オランダの人口、また増加。移住者が貢献
オランダの人口は増え続けている。移住者の増加と死亡者の減少がこの背景にある。中央統計局(CBS)の数値によれば2019年前半には46,000人の増加だ。増加率は昨年同時期よりも高い。死亡者数の減少が最も大きな人口増加の原因となっている、とCBS。昨年同時期より3700人も少ない。昨年2018年は比較的厳しい冬だったのとインフルエンザの流行期間が長かったため死亡者が多かったとみられる。

移住者を見てみると、欧州圏からの移住者数が増えている。とくに東欧、イギリス、そしてトルコである。その中でも多いのがポーランド、ルーマニア、そしてブルガリアである。EUのパスポートを持っていればEUの内どこでも働くことができるので、好景気のオランダに移り仕事をするのは理にかなっている。イギリス人もここ数年増え続けており2019年前半には3500人がオランダに移住してきた。ブレグジットの影響は大きいとみられる。2016年以前は逆にオランダ人のイギリスへの移住が多かった。

欧州以外からのオランダへの移住者で最も多いのがインド人。ポーランド人に次いでなんと2番目に多い。2012年から2017年の間に移住者数は2倍となり、現在では毎年8600人がオランダへやってきている。「ほとんどが知的労働者枠でオランダに働きに来る人たちで、IT関連が多い。」とCBS。さらにアジアやアメリカからの移住者も増えている。シリアやアフリカからの難民数は増えていない。


関連記事

オランダの小学校、知識移住者の外国人の子弟が大量に流入
オランダで仕事をする外国人従業員が増加するとともに、アイントホーフェンやアムステルダムそしてハーグ近郊の現地校に入学する子供の数が急増している。幼稚園や小学校はオランダ語を話さない子どもたちへの対応が迫られている。企業は海外からいわゆる知識移民(kennis immigrant、highly skilled immigrant)と呼ばれる技術者やIT部門従事者を大量に雇用しており、これからも増加が予想されている。アイントホーフェンでは2030年までに4000人の外国人生徒が増加すると見ている。同市のライハーラーン小学校では、すでに幼稚園(Kleuterschool)の生徒の3分の1、幼稚園低学年(Peuter)の半数が外国人の子どもたちである。外国人従業員の子弟は、以前はインターナショナル・スクールに入学していたが、最近では両親の滞在期間が長くなる傾向があり、最初から現地校に入学するという選択肢が増えている。またこれらの知的移住者に対して、企業が子供への学費を負担しないというのも現地校へ通う子供の増加の一因である。アイントホーフェンでは小学校に外国人クラスを設置しオランダ語の言語教育を始めている。

インドなどからの外国人従業員が多いアムステルフェーンでも、すでに1500人の子供が現地の小学校で学んでいる。この数はさらに増えると見られていおり、市当局では子どもたちへのオランダ語教育など解決策を検討している。

過去13年でオランダで働く知的移民の数は50,000人となった。このうち40%はインドからの移住者である。アムステルダム、アムステルフェーン地区でもインド、中国、そして日本といったアジアからの知的移住者が20,000人を超えた。

テレビ局勤務を退職しオランダに移住した鈴木さん

Image

テレビ局の記者という仕事を辞め、2016年9月にオランダに移住してきた鈴木さんにお話を伺いました。鈴木さんは現在、日本茶の輸入卸やワークショップ、日本語教師、補習校教諭などをやっていらっしゃいます。P:ポートフォリオ、S:鈴木さん

P:オランダにいらしたきっかけを教えてください。

S:東日本大震災がひとつのきっかけでした。震災後、数年かけて日本社会の変化を意識して見ていたつもりですが、当時の自分の立場からまわりを見渡してみると、社会が分厚い利権や既得権益に覆われていることに暗い気持ちになりました。政治、産業ほか、世の中のあらゆる面で利権が猛威を振るっています。これは今でもそうですね、どんどん悪くなるように見えます。当時、私は構造的にそうした既得権益の中にいましたが、早くそこから抜け出したいと感じていました。仕事の面では、テレビのニュースで情報を伝えていましたが、構造的な問題をそのままにして記者を名乗ることに良心の呵責を覚えたり、テレビでなにかしらの問題を提起してみても、その当事者でなければ多くの人が無関心である社会への無力感があったりして閉塞感にさいなまれていました。一方で、ちょうど40歳を迎えて、何か新しいことに取り組んでみようという思いがありました。とはいっても、全く新しい仕事をしようと考えていたわけではなく、これまでの知識や経験を本当の意味で役に立てるにはどうしたらよいかと考えていました。あの震災を通じて一種の「めざめ」を経験した自分は、社会や組織に迎合して「脂をのせていく」のではなく、自分自身の信念や良心が十分に納得できる形で新しい挑戦をしようと思ったのです。そんなときに、ふとオランダが目の前に現れました。

P:なるほど。その新しいことというのは日本では実現しようとは思わなかったのですか?たとえば、フリーのジャーナリストという道もありますよね?

S: 日本でフリージャーナリストとして社会正義に燃える生き方もあったかもしれませんが、単純に自分自身の人生をもっと楽しもうという思いもあったので、海外ありきでした(笑)。実は、学生のころから海外に出たいとも思っていました。会社時代、営業部にいて比較的時間に余裕があったころには英会話を習っていました。そういう積年の思いが「いまだ!ここだ!」と噴き出したのかもしれませんね。

P:順調な記者生活を辞めて海外に移住するというのは大きな決断ですよね。海外に出てからの計画はあったのでしょうか?

S: これまで、それなりに堅実な人生を歩んできましたので、オランダに出る計画も自分なりには相当練り込んできたつもりですよ。たとえば、取材の仕事で食べていこうと考えると、企業の広告や広報の予算をあてにするようになりがちで、これでは本末転倒になります。だから、そもそも別の収入源を作ることを考えました。いま取り組んでいる静岡茶の輸入やワークショップは、静岡時代の知見や人脈、それに取材や番組制作のスキルを活かして展開しているビジネスです。お茶とテレビのスキルがどうつながるの?と思われるかもしれませんが、番組やニュースの制作は、どのように情報を集めてどのように構成して、どう見せるか、という作業です。これは、人に何かを伝えるときにとても重要な要素だと感じています。また、18年間の会社生活では、記者だけでなく営業など、さまざまな仕事をしてきたので、これらの引き出しをもっと生かすことも考えました。こういうと、スムーズにここまで来ているように思われるかもしれませんが、そんなことはありません。実際には自分の持っている人間力を総動員して毎日全力で取り組んで、どうにかこうにかやっとここに立っている、という感じです。同時に、人の縁やタイミングなど、いくつもの幸運が重なったという実感もあります。いずれにしても、いそがしかった記者時代と同じかそれ以上に、いそがしく充実した毎日です。

P:それでお茶を扱っているんですね、各地でお茶のワークショップも開催していらっしゃいますよね、他にもお仕事をなさっているようですが?

S: たとえば、フルート奏者の妻とともにFM静岡で「武良静枝のMooi!オランダ」というラジオ番組を作って毎週放送しています。まもなく90回目の放送です。妻がパーソナリティ、私はディレクターで話題の選定や台本のチェック、収録、編集を担当しています。テレビの取材の仕事は年に数回程度。このほか、アムステルダム補習校教員、ロッテルダムのVolksuniversiteitでの日本語教師、ライデン大学日本学科の非常勤講師、塾講師、着物のトレーナーなど仕事は多岐に渡っていますが、すべて「人に情報を伝える」仕事です。日本語教師は、これも不思議な縁ですが、実は大学で専攻していたのが日本語教育でした。これまでの自分の学びや経験が仕事に生きています。

P: オランダの生活はいかがですか?

S: とても気に入っています。去年の春に第一子の長男が生まれましたが、毎日子どもの成長を見ることができる自分の仕事環境にも満足しています。これは、日本のテレビ局で記者を続けていたらできない経験です。歩きはじめる、しゃべりはじめる、といった子どもの成長をつぶさに見ることができる、それだけでも私のオランダ生活には価値があると感じています。

P: 今後のビジョンはありますか?

S: まずはオランダ語を習得して、必ず永住権を獲得します。仕事は大きく成功させます。子どもにはオランダで成人してもらうつもりです。もう少し具体的に言えば、今後はオランダでの本格的な取材活動や、日本にある特定の社会構造に向けての問題提起にも取り組んでいこうと考えています。ここオランダは自分が人生をかけて選び、降り立った土地ですから、ともすれば日本以上に愛着があると言えるかもしれません。私は日本人ですが、それよりも人類のひとりであることを意識して生きていきます。いずれ状況が変われば、日本にも再び拠点を持つことがあるかもしれません。現状からすれば、そのような希望は持ちにくいですが、やはり日本はふるさとですから、心の片隅ではそうなればいいなと感じています。最後に、ひとつだけ宣伝してもいいですか?最近、フェイスブックに「Japanse Thee Suzuki」というビジネスページを作りました。お茶のイベントなど掲載していますので、よかったらのぞいてみてください。EU基準の静岡茶、ぜひ飲んでみて下さい。


起業家インタビュー、テレビ局を辞めてオランダに移住してきた鈴木さん
今回の起業家インタビューは、18年勤めた日本のテレビ局記者という仕事を辞めてオランダに移住してこられた鈴木さんです。東日本大震災がオランダへの移住のひとつのきっかけになったそうです。「当時、私は構造的にそうした既得権益の中にいましたが、早くそこから抜け出したいと感じていました。仕事の面では、テレビのニュースで情報を伝えていましたが、構造的な問題をそのままにして記者を名乗ることに良心の呵責を覚えたり、テレビでなにかしらの問題を提起してみても、その当事者でなければ多くの人が無関心である社会への無力感があったりして閉塞感にさいなまれていました。」 

現在、鈴木さんは日本茶の輸入卸やワークショップ、日本語教師、補習校教諭などをやっていらっしゃいます。

マーズワン 火星移住計画
オランダの非営利団体“マーズワン”は、2025年までに火星に人類初の移住地を設立する計画だ。これまでのところ12人のベルギー人を含む140カ国から20万人以上の応募があったという。

手始めに2018年には無人の宇宙船を火星に到達させる予定だ。一方当初の予定より遅れるが、2024年には4人での有人飛行が予定されている。4人は2名ずつの男女で構成されるという。第一陣を送るための予算は約60億ユーロ、予算捻出のためにリアリティ-テレビと提携する。計画では2年毎に4人ずつ送り込む予定だ。
“マーズワン”は現在、火星移住の候補者登録の手続きを終了したばかり。今年末までに参加者のリストを確定する意向だ。
火星への飛行は片道切符となり、参加者は火星を植民地化していくこととなる。火星に到達するだけで約7カ月かかると予想されている。

参加者はマイナス55度という超過酷な砂漠環境で暮らすことになるが、移住する者として必要なのは「自分自身を省みる能力」、「柔軟性」、「適応力」そして「好奇心」の4つだそうだ。

18歳以上の地球人なら誰でも応募可能とされたこの“マーズワン”の応募者内訳は、アメリカ人25%、インド人10%、中国人6%、ブラジル人5%となっている。 日本からは9人が応募したという。 これらの応募者は3回の選抜を通過しなければならない。 その後最終的に24人から40人が火星への永久移住者としてこの計画に参加することとなる。

ベルギーのワロン地方1ユーロでトランプ大統領に販売?

オランダにまた夏が戻ってくる

ブレグジットを見据え、スコットランド・オランダを結ぶフェリー計画

オランダ鉄道、チケットの販売方法や拠点拡大で車利用者も取り込む

ユトレヒトの草が茂る屋根付きバス停、大ヒット

来年のオランダ経済やや減速、ドイツに足を引っ張られる

オランダで肉の摂取量減り、代替製品の売上が上昇

欧州他国で人気の電動キックボード、オランダでは禁止

音楽を聞きながらの手術で術後の痛みが減少、オランダの実験

オランダ、深刻な橋守不足で船舶の待ち時間長く