オランダあれやこれや

いろいろな人が書くオランダにまつわるエッセー。書き手、常時募集しています

文化の違いがあるからこそ その1 「芸術って?」
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アムステルダムには格別な魅力があります。
黄金時代の歴史に囲まれて暮らし、ときにはカリヨンの音も響いてきます。この街に住んでかれこれ40年。
今回初めての投稿ですが、この町の特色あるハプニングをいくつかご紹介し、最後に芸術について、オランダ人女性のとある発言を取り上げてみたいとおもいます。
そもそも街でハプニングを起こす彼らに共通するのは何か。そう考えてみると、どうやら他者に見せる、見せたい心、そんなものが働いていているのが分かります。でもこれがオランダ風のチャレンジ魂の賜物かどうかは未解明。

小型車を運転する白髪の女性はスピードに細心の注意を払っているようでした。正真正銘の大型のオウムが、あろうことか、走行する車の屋根の上で、受ける風を満喫しながらも威風堂々と振舞っているのです。鮮やかな色彩は目をひき、首をかしげる仕草は愛らしくて、道行く人みながおもわず微笑んでしまう、心温まる光景でした。これを見たのはダム広場に建つバイエンコルフ・デパート裏、つい先週のことです。

次に数年前、新聞などで取り上げられた中年のおじさんについては、目にされたことがあるのではないでしょうか。夏も冬も、肌身にまとうのはあそこを隠すストリングのみ、いや何もつけぬことがあるとか。ローラースケートで町を走り回っていたこの方について、オランダのヘット・パロール新聞、2017年の4月に取り上げた記事には、おじさんが活動(!)するのは早朝のみ、とありました。であれば、わたしが、昼間に夜にと町なかで遭遇した裸愛者の男たちはそれぞれ別人だったのでしょうか。
案の定、肉体(美)を披露する者(男性がほとんど)たちは数多く、おかげさまでもう何を見ても慌て驚くことがなくなりました。

五月晴れが続くなか、これは今朝起きたハプニングです。わたしの住む旧市街もコロナ対策で歩行者がまばらです。前方からやってきた若い黒人女性、履いていたジョギングパンツをいきなり、暑苦してたまらぬといわんばかりに、えいっやっとかなぐり捨てたのです。現れたのは、それはそれは、白いパンティーが食いついた、みごとなお尻でした。折よく居合わせた若者、目にするなりクスッと小さく笑ってそのまま通り過ぎてゆきました。いやらしさなど微塵もない。毎日見るものではないから愉快です。ここは島国ではありません。ストリングがオッケーならパンティーがどうして禁止されるものですか! スカッとした生命感さえ伝わってきました。昨今の甚だしい旅行者の増大によってこれらひと味ある光景が、影を潜め始めたとすれば残念です。パンティーおたくも今このコロナ・ヴィールス対策で街が住民だけになったところをねらって「やる気」を起こしたのかもしれません。パーフォーマンスと呼べるかどうかは別にしても、これは一種の人間劇といえそうです。

さて、オランダの某アート機関から広告メールが届きました。ショート・インタヴュの動画付きです。
「だいたい、芸術って真面目すぎて固苦しくないですか、やけに難しい言葉を使って説明されたりしても、ねえ。あなたはどう思います?」。こんな問いに、40代ほどの女性が大きなゼスチャーを交えて前向きに答えます。「全くその通りよ。だって芸術ってのは皆のためにあるのではないの?とにかくもっとゲゼラハでなくっちゃだめね、云々」。まとめると、皆が楽しめるものであること、芸術はオープンで(大衆的で)ゲゼラハにあるべき、とのご意見でした。それにしても、この回答を引き出そうと質問者が働きかけたのならば、これをインタヴュと呼べるのかどうか。それはともかく、Gezellig(ゲゼラハ)はオランダ人特有の、彼らが大好きなダントツ形容詞。相棒、仲間、の意味をもつ名詞、Gezelからきています。これこそは彼らの文化であり社会性です。楽しく愉快で、気分がリラックスできて快適にあること。ゲゼラハな仲間とゲゼラハに交わりゲゼラハな時をすごす、こだわりのゲゼラハです。

では、芸術は本当にゲゼラハであるべきでしょうか。
芸術は感ずるもので、快適な楽しみとは異次元のもの。大衆の趣味に合わせるものでもない。作品の魂が本物であればあるほど、それを前にしたときに感ずるものは、個人の趣味趣向と波動レベル次第です。

こう思います。人はそれぞれの顔かたちが異なるように様々な波動を持っています。それぞれの芸術作品も同様です。
だからこそ、感動の出会いもあるのです。 2020年5月 高橋眞知子(演奏家)